地震

地震どえらいことになりました。
私の住む地域も震度3くらいはあったらしいですが、当時私は原付乗ってたので全く気付きませんでした。
帰宅してニュース見て衝撃。
津波恐ろしすぎる。
東北・関東はかなり大きな被害で被災地の様子をTV越しに見るたび心痛みます。
阪神大震災の時の長田区を思い出す。当時親の仕事の関係で被災直後の長田区に何度も行きました。
すでに何百人もの方々が命を落とされていて深刻な状況ですが、どうか落ち着いて対応されてください。
支援する側の人間も。
ネットではデマが錯綜し、また良かれと思ってそのデマを拡散してしまい、その拡散した人を個人攻撃するような光景がかなりあります。
とりあえず皆もちつけ!
・情報拡散するのは必ずソースの裏をとること!デマに乗せられちゃ駄目!
・支援する場合は個人で動かない事!勢いで現地に赴く&物資の送りつけは大抵救助活動の邪魔・はた迷惑です。かならず信頼できる大手の団体経由でするべし。
・個人でできる援助に「献血」が挙げられていますが、私の友人が献血センターに確認をとったところ、この大震災で献血希望者が殺到しているらしいです。
しかし現地の病院が復旧していない中ではせっかくの血液も直接届ける事は難しく、無駄になる可能性アリ。
1週間ほど経って、現地の病院が落ち着いてから献血に行くのが望ましいとのこと。
あと、動物より人命優先です。
そこを履き違えちゃ駄目だと思う。

17 件のコメント

  • ホントに仰る通りですよね。
    私も今はtwitterも目は通しますが、自分はツイートしないようにしています。
    こんな時こそ、必要な情報だけを流してあげたいですものね。
    物資もよかれと思って送っても有り難迷惑な場合がありますから。
    阪神大震災の時にも、結局送られた物が無駄になりゴミになったという話も聞きました。
    私は募金に徹します!
    他に何も出来ない自分がもどかしいです。

  • おはようございます!
    各方面色々と動きがありますね。
    私は寄付しようにも申し訳ないことに自分と動物たちのことで経済的に手一杯で、ほんの気持ち程度の寄付しかできません…。
    しかし要請があれば家にある物資は送ろうと思ってます。
    特に飼育用品とかなら色々ありますので。
    まだ人が優先なのは変わらないとは思いますが、過去の大規模災害でもペットを抱えて逃げた人がたくさん居て、しかし被災地に用品・餌が無くて困った人がたくさん居たと聞いたので。
    それもまぁ個人では送りつけず団体を通して…
    出来ることからやって行きたいと思います。

  • >動物より人命優先
    これには少し首を傾げます。
    私の家は震度5強が2度、未だに日に幾度も大きな余震が続いています。
    正直、関東大震災が来たと思いました。
    幸い私が自宅にいたので一番倒れる危険があったケージを必死で押さえてる最中、
    メイとリュヌが窓縁まで寄って来て不安そうな顔で眺めていました。
    ずっと「大丈夫だよ」と声を掛け続け恐怖の中でも
    その手を離そうなど過ぎりもしませんでした。
    私の友人は福島でまさに原発の危険と直面しておりますが
    自分の犬を片時も離さずにいます。
    勿論避難所にはモラルの面等で行くのを断念し、
    最悪な場合の覚悟は決めている、それぐらい私にとってこの子は大切だと。
    又、津波によって親戚を亡くした同級が仙台に物資を届けに行っていますが
    その町では見る限り誰一人ペットを放置し避難した人はいなかったようです。
    皆が助け合い、また一方でペットを助けに家に戻りそのまま津波にのまれた方々が大多数だったと。
    その話を聞き、あの美しい町同様、
    住民も温かく美しい心をもった人々だったのだろうと
    心打たれました。
    動物は‘物‘ではありません。
    道楽のひとつでもありません。
    ‘命‘です。
    私達となんら変わらず不安も痛みも愛情も感じます。
    自分の家族として迎え入れたのなら最後まできちんと「家族」として接し、守るべきです。
    出来ないのなら「飼う」べきではありません。
    目の前で助けを求めている者がいるのならそれが人間であろうと動物であろうと助ける。
    それが最も正しいことで、動物飼育者である私達がそれを率先し示していくのが大切なのではないでしょうか。
    動物飼育者が「人命優先」など言ってしまったら
    動物の命を軽視する人々が増え、弱きものを排他する世界になってしまいます。

  • valetさんこんばんは。お久しぶりです。震災に遭われたそうで心からお見舞いを申し上げます。
    ブログで当時の状況の記録を拝見いたしました。
    木材などが倒れてきたそうですが、valetさんが軽いお怪我で済んだようで不幸中の幸いと思います。
    メイ&リュヌも無事で何より。
    そしてご意見ありがとうございます。
    こうしてご意見を投げ掛けていただけること嬉しく思っています。
    valetさんに真摯に意見していただいたので、私も誠実に考えを述べたいと思います。
    まず最初に、やはり私は人命優先と言う気持ちには変わりありません。
    それは人間社会に生きる1人の人間として当然の事と思っています。
    目の前に他人と自分のペットどちらかしか助けられない状況があれば私は人を助けます。
    自分を犠牲にして他人とペットのどちらも助けるという手段も考えません。あくまで人命が優先と考えます。
    今回の大震災の件でも、生き物を置いて逃げた人も沢山居るでしょう。
    それはvaletさんのご友人のお話とは矛盾するかもしれませんが、ペットは犬猫だけでなく咄嗟に持って逃げることが難しい種のものもいると思うからです。
    その人たちに向かって「飼い主失格だ、今後動物を飼うべきではない」とはとても言えません。
    自分の命、肉親の命、隣近所の人の命を優先し声かけをして周り、動物にまではとても手が回らなかったと思うのです。
    valetさんのお話の中に「ペットを置き去りにした人は誰一人としていない、結果としてペットを助けに行った人たちは津波に呑まれてしまったが、そうしなかったことはとても温かく美しい心を持った行動だ」とありますが、それは逆に「置き去りにした人は温かくなく美しくない心」ということになりますが、そうでしょうか?
    置き去りにしてしまった人たちも何も感じてないわけではないと思うんです。
    それは家族として一緒に過ごした飼い主自身が一番感じていらっしゃる事でしょう。
    命は平等、それはそうでしょう。本質的に命に軽い・重いは無いと思います。
    しかし人間社会に生きるものとして、人間の命を優先させる事が間違っているとも思いません。
    そして福島のご友人、避難指示地域の方なんですか?
    であれば避難するようお伝えください。法的にも退避が義務付けられているはずです。
    ご友人のモラルを考えて避難場所への避難を控えるという気持ちは大変よく分かります。
    しかし避難指示の出ている地域に人が居ることが分かれば、それこそ自衛隊やら何かしらの方々の(言い方は悪いですが)手を煩わせることになりませんか。
    犬が大切なのは分かります。
    しかしその子は飼い主がご友人でなければならないことはないと思うんです。
    里親とか、あるいは一時預かりでも出来ないのでしょうか?
    避難指示地域でないのなら、今からでも一時預かり先を探されても遅くないと思います。
    > 目の前で助けを求めている者がいるのならそれが人間であろうと動物であろうと助ける。
    > それが最も正しいことで、動物飼育者である私達がそれを率先し示していくのが大切なのではないでしょうか。
    それが出来る状況であればそうするべきだと思います。
    しかし究極の2択のときにどちらを選ぶか?ということです。
    その時は私は間違いなく目の前の他人を優先します。
    動物飼育者である前に人間社会の構成員の1人であるからです。
    > 動物の命を軽視する人々が増え、弱きものを排他する世界になってしまいます。
    このような緊急災害時において致し方なく人命を優先させる事を見て、『動物の命を軽視』となるとは私は思いません。

  • ご意見はよく理解理解致しました。
    banzaiさんは動物を‘ペット‘とおっしゃる場面と
    ‘家族‘という場面がありますが
    詰まる所、どう捉えていらっしゃるのでしょうか?
    petという言葉の由来は英語のpetting、
    家族は‘family‘です。
    家族というのは貴方の父、母兄弟を示します。
    banzaiさんお言葉を借りると
    自分の親と将来ある若い人が同時に助けを求める場面において躊躇なく親を見捨てられますか?という事になります。
    出来ないのならば飼育種を‘家族‘と表現するのは矛盾が生じています。
    「家族の一員として」言うのであれば最後まで「家族として」接するべきです。
    爬虫類や熱帯魚などは確かに簡単に避難させる事は難しいでしょう。
    しかしそれを踏まえて迎え入れたはず。
    何も考えず購入したのなら、
    そういった行動が動物愛護後進国と世界から罵られる要因を助長し恥になるのです。
    その軽率な思考が乱捕獲や繁殖を招く切欠を与えてる事、真摯に受け止めるべきです。
    ご存知ですが?こんなにも野生動物輸出入に緩い国は日本ぐらいという事を。
    ワシントン条約会議において日本は蚊帳の外で相手にもしてもらえず
    リクガメ『消費』国世界一という事実を。
    石原都知事の言葉ではないですが我欲が強すぎて
    何をしなければならないか、自粛するべきかを見失ってる方が多いのです。
    置き去りにしてしまった方は後悔してらっしゃるでしょう。
    しかし、キツイ言い方ですがそれが本質なのです。
    周りを見渡し動物と一緒に避難した方々がいれば
    なおの事‘ペット’を置いてきた事後悔するでしょう。
    時はいつ何時でも戻す事は出来ません。
    私は決して彼らを攻めているわけではありません。
    「心が温かくない」など言っていません。
    対人関係においては素晴らしい方もいるはずですし、
    高度な能力を持った方もいるはずです。
    しかし二度と動物を迎え入れて欲しくないと望んでるのは本心です。
    又同じ場面になった時に彼らの何割が動物を抱え避難するのでしょう。
    極端な話ですが、生み育ててくれた恩ある親を老人ホームへ入れ
    その後一切会いに来ない人々と、
    老い衰えた両親が少々重荷になっても
    最後まで愛情持って介護を続ける人々との違いと何ら変わらなく感じます。
    一番辛いのは外出中に災害に遭い助けるにも家ごとなくなってしまった方々だと思います。
    友人は郡山なので日本の発令する避難地区ではありません。
    放射能関連についての避難等は日本のメディアと海外のメディアの内容のが大きくかけ離れており
    何が正しいのか分からない状況ですが。
    台風カトリーナの時にも一人の男性が
    `they’re just like family so can’t leaving without them.`と言い犬と共にずっと避難地区で暮ら
    し続け、
    アメリカ全土から共感と一時ホストの申し出がありました。
    ドイツにはペットショップがありません。
    直接ブリーダーの元へ行き、そのブリーダーが認めた人に購入権利があります。
    オーストラリアでの爬虫類飼育は確か資格制です。
    アニマルポリスがある国は多数あります。
    しかし残念ながら法律上、動物は物と同等に扱われる日本では個々の良識に委ねられます。
    世界基準に追いつく法律改定に力添えしていくのは
    私達飼育者の小さな言動の一つ一つであり
    全力で自分の「家族」を守ろうという姿勢がなければいつまでたっても後進国のままです。

  • >banzaiさんは動物を‘ペット‘とおっしゃる場面と
    >‘家族‘という場面がありますが
    >詰まる所、どう捉えていらっしゃるのでしょうか?
    ややこしいですね、すみません。
    「ペット」と使っている場面は「家族」と使うと「人間の肉親」の意味の「家族」と混同するかな?と思ってあえて「ペット」と使っています。
    「家族」と使っている場面は「1家族の構成員」としての家族です。それは「=肉親」とかそういう意味ではありません。分かりやすく言うなら「クラスメイト」と同じような。(余計に分かりにくいか?)
    同じ屋根の下に居る、という意味での「家族」です。
    そして私のペットに対する捉え方ですが、私は動物を「人間」とは思っていません。擬人化はできません。
    あくまでも動物は動物です。
    一番感覚として近いのは「同居人」「隣人」とかその辺でないでしょうか。
    例えとして『自分の親と将来ある若い人が同時に助けを求める場面において躊躇なく親を見捨てられますか?』とvaletさんは仰りますが、私はペットを人間と同じ扱いは出来ませんのでこの問いには答えることは出来ません。
    『自分のペットと見ず知らずの動物とどちらを助けますか?』という問いなら、私は迷わず自分のペットを助けるとは思いますが。
    >爬虫類や熱帯魚などは確かに簡単に避難させる事は難しいでしょう。
    >しかしそれを踏まえて迎え入れたはず。
    逆にvaletさんにお聞きしたいんですが、もし同じ状況になられたらどうされるんですか?
    何も考えずに、ということはvaletさんは考えてから迎えられたんだと思いますが、どうされるのか是非お考えを伺いたいと思います。
    ええと、そして日本が動物愛護後進国という原因になる~の一連の流れと、今回の震災の件は分けて考えませんか。
    緊急時に致し方なくペットを置いてきた人々に対して「これだから動物愛護後進国は」と言うのが「動物愛護先進国」の考え方だと言うのならそれは間違っていると私は思います。
    しかしそうではないと思うのです。
    動物愛護の精神とこの話を結びつけるのはあまりにも強引だと思います。
    >「心が温かくない」など言っていません。
    確かに文章の中では仰っていませんが、しかし老人ホームの例えなどを見るとどうしてもそのように捉えてしまいます。
    カトリーナの例もそういう行動をとった男性は勇気あるとは思いますが、そうしなかった人々を間違っているとも思いません。
    おそらくそうしなかった人々が多いと思います。valetさんの仰る動物愛護先進国のアメリカにおいても。

  • P.S.
    >オーストラリアでの爬虫類飼育は確か資格制です。
    興味があったので調べたんですが、それらしい情報が出てきませんでした…
    よろしければ情報源を教えていただけませんか。

  • オーストラリアでは爬虫類飼育は資格制です。
    飼育種もランクが有り初心者はまず飼育の簡単な種から飼育できます。(すぐに貼れるソースが無くてすいません)
    ドイツにもペットショップは有ります。犬猫の生体が売っているのかは判りませんが、日本の様な大型量販店も有り、鑑賞魚や爬虫類・小動物は販売されています。

  • ありがとうございます。
    オーストラリアはやっぱり資格制なんですね。
    しかしなぜこんなに情報が少ないんでしょう。良くも悪くも日本の愛護団体が食いつきそうな話なのに。
    …爬虫類だからですかね(笑)
    そしてドイツ!そうなんですか!
    ドイツにペットショップは無い!ってとてもよく聞く話だったんでてっきり犬・猫以外も全く店頭に居ないのかと思ってました。
    ドイツ(色んな意味で)すげぇなぁ…と思ってたんですが、あるんですね。ペットショップ。
    もっとドイツ在住の友人に詳しく聞いてみます!
    情報ありがとうございます!

  • おっと。書き忘れましたが、ドイツですが、近年法改正されてたら判りませんが、何年か前に行った時は普通に売ってました。(総合ショップでしたが犬猫は興味が無かったので覚えてません)

  • なるほど、あくまで数年前の状態という事を心に留めておきます。
    補足ありがとう御座います!

  • 返信が大変遅くなったこと申し訳ございません。
    そもそも、banzaiさんと私は動物に対しての見方が異なっている様なので
    論点のズレが生じるのだと分かりました。
    もちろんアメリカでも動物を虐待し捨てる人々は尽きません。
    それに対応すべくanimal policeがあります。
    実刑や、動物飼育不可能の判決が下せる社会なのです。
    日本にも早くその制度が整えばいいのですが。
    私は災害に遭った場合はもちろん我が子と共に死にます。
    幾度か死に直面した事があるので覚悟は誰よりも強く持っていると思います。
    アナフィラキシーショックになった時は薄らいでいく意識の中で
    「死ぬ前に自分の会社の解散手続きを済ませないと。」と手続き方法を考えていました。
    また5年前、昏睡状態に陥った際は意識がなくなる前に祖母に電話し
    通帳の場所と犬達をよろしくと言っていたようです。
    記憶はないのですが。
    何かに身を投じ守るべき立場になった人間は真っ先に「守るもの」が浮かぶんですよ。
    自分の事など頭から消えています。
    というか私は誰かに迷惑を掛けたり、信用してる者達を裏切ったりする奴には絶対になりたくないので。
    よく「どうしてそんなに動物がなつくのか」と問われますが、恐らくそういった気持ちに
    動物達は安らぎを覚えてくれてるのだと思います。
    これを最後にコメントは控えさせていただきます。
    価値観の違うもの同士が話しても時間の無駄ですから。
    何かあれば私のブログに書いて下さっても結構です。

  • 返信の遅い早いは気にしないで下さい。私自身もかなり遅筆でして…^^;
    >そもそも、banzaiさんと私は動物に対しての見方が異なっている様なので
    どのようにどう異なっているのか気になります。
    私は動物=ペットで、valetさんは動物=肉親ってことでしょうか?(推測なんで違ってたらすみません)
    アニマルポリスの件は、私自身知識が浅いので断定して言えないのですが、州によってそれぞれ違ってアニマルポリスの無い州も多いと思いますが。
    そもそも『アニマルポリスがある』や『飼育不可の判決が下せる』って動物虐待の話ですよね?
    えーと、つまりvaletさんは『災害時に人命優先』という私の意見や、前の私が言った『カトリーナの件の致し方なくペットを置いてきた、連れ出せなかった人々』なんかは動物虐待にあたると思われているってことですかね?
    なぜ動物愛護先進国(?)の話がたびたび出てくるのかちょっとよく解らなかったので。
    >私は災害に遭った場合はもちろん我が子と共に死にます。
    そうですか。
    多分迎え入れてしまった時点でどのみち死しか無いですよね。
    私は動かせる奴だけ抱えて逃げ回って生きようとすると思います。全滅よりかはいいかなと。その時多分に『私の』エゴで助かる・助からない動物が決まってしまうとは思いますが。
    >価値観の違うもの同士が話しても時間の無駄ですから
    それを言ってしまうと物事は何も進みませんよ。
    私は価値観の違う人々と接する事は大事だと思いますよ。
    合わないからこそ話し合って、できるだけ譲歩して、すり合わせて…が必要になるんではないでしょうか。
    とはいえ『話したくない』と言う人に無理に話させるつもりもありませんケド。
    私は時間の無駄とは思いませんでしたということは伝えておきます。
    ではでは。

  • 初めまして。
    埼玉在住の主婦です。
    たまたまですが、こちらのブログにたどり着きました。
    私は猫16匹と犬1匹を家族に持つ主婦です。
    今回の震災に今何をすればいいのかと
    毎日調べ考えています。
    人命優先でも動物の命優先でもかまわないと
    私は思うのです。
    それより力になりたいと思う気持ちを
    共に持ち続けることが大事なのではないのかと
    最近思うようになりました。
    ちなみに私は動物は家族なので命かけて守り抜くと
    誓えます^^
    多くの力が必要な時!
    方向性が違っても頑張っていきたいです。

  • はじめまして、ようこそキワモノ動物ばかりのこんなブログへ…w
    大家族なんですね。(うちもなんだかんだで飼ってる動物合わせると30超えてますけど)
    今出来る事と言えば…
    個人で動く事は難しいかなとやはり思います。
    動物愛護協会が義援金や支援物資を募っているので、そのあたりで協力が一番良いかなと…。
    >人命優先でも動物の命優先でもかまわないと
    すみません、ここだけどうにも納得できないです。
    人命優先は私個人的には当然だと思っていますし、そうでなくても(私は納得できませんが)人命も動物の命も平等だ、というのも理解できます。
    でも動物の命優先は…それは人間としての義務を放棄しているようにしか思えません。
    力になりたいと言う気持ちが大事なのは分かります。
    しかしその方向が違うと大問題だと私は思うのです。
    例えば「人間の食糧も水も足りない」という被災地に乗り込んで「ドッグフード持って来ました!」って何というか…あまりにも空気が読めていないというか、場違いだと思いません?
    ドッグフード積んで来れるのなら人間の食料・水を下さい…となりませんかね?
    人間の食料なら飼い主さんが自分の分を動物に分ける事は出来ますが、ドッグフードを飼い主さんに食えとは言えないでしょう。
    そういう意味で機転を利かせて人間も動物も口に出来そうなものを支援物資として送ると言うのはアリだと思いますが。
    人間の食糧も水もある程度供給が足りてこそ、次の動物たちの救助へ…となるのは当然だと思うのです。

  • 色々アドバイスをありがとうございます。
    そうですね!
    配慮を忘れないように支援して
    いけるよう気をつけなければダメですね。
    頑張ります。

  • アドバイスだなんてとんでもない!;
    そんな恐縮なさらないでください!
    文面怖いかもしれませんが書いてる本人は特に何も考えてませんのでw
    頑張ってください。応援してます。